京都・大山崎「観音寺」参詣~その2

山崎聖天と聖天堂

仁王門からさらに延びる石段を上がり切ると境内がある。天王山の中腹に開けたこの境内は明治維新直前、蛤御門の変、いわゆる禁門の変の余波の合戦場となった。1864年、京都洛中から逃げ延びた長州藩の義勇隊が境内を占拠した。それを追ってきた陸奥・会津藩兵士が攻撃し、その戦火で焼失する。その後、存亡の危機となるも、西観音寺(廃寺)の本堂、聖天堂、鐘楼などを移し、天堂を建立し、また1890年、住友、三井など財閥の支援を得てかつての姿を蘇らせた。聖天、秘仏の大聖歓喜雙身天王(歓喜天)は、蓮華の上で象頭人身立像が抱擁する双身像になっている。元々ヒンドゥーの神でありその姿のため秘仏とされている。商売繁盛、家運繁栄、夫婦和合、子宝祈願のご利益があるといわれ三井住友など豪商の篤い信奉を得てきた。

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