箱根 堂ケ島遊歩道

異人たちの足跡18 B. H. チェンバレン

箱根堂ヶ島は、国道138号線の宮ノ下温泉から、芦ノ湖を水源とする清流、早川に降りた渓谷にある。宮ノ下温泉の富士屋ホテルを常宿としていた英国人、バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)は、この谷沿いの道を愛し、読書と執筆の合間の思索の供としていた。チェンバレンが歩いた道は堂ケ島遊歩道として整備され、親しみを込めてチェンバレンの散歩道とも呼ばれている。

堂ヶ島遊歩道

宮ノ下郵便局の脇を右に入り、早川の流れる谷に下りてゆくと、軽いアップダウンのある自然道がある。柔らかい落葉を踏みながら林の中を歩き、春には桜、秋には紅葉に彩られる散歩道は、箱根の自然を肌で感じることのできる癒しの道である。途中、滑りやすい石段や泥濘があるため、ハイヒールで歩くのはお勧めしない。

道はまず、ヘアピンカーブを緩やかに下り、赤い屋根が幾棟も続く温泉宿、大和屋に向かう。宿の裏手を通り抜けて、次にもう一つの宿、対星館の前を通る。そのまま直進して橋を渡り、左に折れて小道を上っていくと、川沿いの山道である。そこからしばらくは上りが続く。春先に歩けば、新緑に混じって、山桜、染井吉野、八重桜などの桃色の濃淡が楽しめる。シャガの淡い紫も、そこここに揺れている。夏は涼しく、早川の清流が心地よい。秋は紅や黄に染まる山を愛でながら、ひっそりと咲く野菊に安らぎを覚えるだろう。

日本学者チェンバレン

チェンバレンは、1850(嘉永3)年、イングランドのサウスシーに生まれた。6歳の時に母をなくし、祖母のいるベルサイユに転居している。英語、フランス語、ドイツ語で教育を受け、オックスフォード大学進学を志したが、健康上の理由で断念している。その後、父の勧めでイギリスの名門投資銀行、ベアリングス銀行に就職したものの、神経衰弱となり離職。医者の勧めで、転地療養の旅に出た。オーストリアや中国上海で過ごした後、1873(明治6)年に横浜に上陸し、その後28年間を日本で過ごした。東京の海軍兵学校や東京帝国大学などで英語を教える傍ら、口語と文語が異なる複雑な日本語を習得し、古事記、俳句、アイヌ文化などの、日本文化研究にも勤しんだ。また、当時稀少であった日本語テキスト(『口語日本語ハンドブック』A Handbook of Colloquial Japanese)の著者としても、チェンバレンはその名を知られている。

1911(明治44)年に離日。スイスのジュネーブで晩年を過ごし、1935(昭和10)年に同地で亡くなった。ルマン湖の畔の高級ホテル、リシュモンがチェンバレン終焉の地であった。

チェンバレンの日本人観

チェンバレンは著書『日本事物誌』Things Japaneseの中で、自らの意見を示して批判されることを避け、他者の意見を列挙している。しかしこれらは、チェンバレンの心理を、ある程度代弁しているのではないだろうか。

「この国民は私の魂を喜ばせるものである。」(フランシスコ・ザビエル)

「この国民は統治者や上役に対しては実に従順です。」(ウィリアム・アダムス

「大胆で、英雄的で・・・復讐心が強く・・・名誉心があり・・・非常に勤勉で、困難に耐え・・・礼儀と立派な行儀作法を好み、自分自身や着物や家をきれいさっぱりにしておくことに細心である。・・・日本人を考察してみるならば、・・・欠けているのは哲学であろう。」(エンゲルベルト・ケンペル) 

「日本人は・・・美術においても、政治組織においても、宗教においてさえも、他国から採り入れたものは何でも広範囲にわたって修正を施し、それに国民精神の刻印を押すという性質を持っている。」(W. G. アストン)

「日本人は独創性が欠けているにもかかわらず、強い個性が目立つ。そして、外国からの輸入品がいつまでも外国のままの姿をしていることに満足してはいない。」(パーシヴァル・ローエル)

「私が受けた日本人の印象は、・・・もっとも醜くて、同時に、もっとも愛嬌のある国民だということである。そしてまた、もっとも清潔で、もっとも器用な国民である。」(イザベラ・バード

また、女性観については、チェンバレンはこう書いている。

「日本の女性は、男子よりも概して顔立ちがよい。その上、感じのいい行儀作法と魅力的な声を持っている。」

「もし私が、いつかこの国を離れるとするなら、たぶん妻を日本人のままにしておく方を選ぶでしょう。なぜなら、そのようにすることが、彼女の最上の幸せと思うからです。」

チェンバレンは生涯独身であったが、若き日のチェンバレンと着物姿の女性の写真があるという。それはアメリカの天文学者パーシヴァル・ローエルが撮影したもので、その写真の裏には、ローエルの字で、Chamberlain’s girlと記されていた。

チェンバレンは箱根宮ノ下に書斎兼書庫を建て、書物を音読してくれる秘書を雇い、富士屋ホテルには愛用の部屋を確保していた。そのチェンバレンが愛した堂ヶ島遊歩道は、四季折々に、箱根の美しさを見せてくれる。

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